2024/02/17 00:00

言葉の奥の
今感じている感情のさらに奥
それは振動として
発せられてるのだなぁと
感覚がする事があります
ヨーロッパでは言った言葉がすべてで
言葉にされなかった想いや喜怒哀楽は
無きものとして
コミュニケーションする事に
誰もが同意している前提があります。
もしもあとから
「あの時実はこんな気持ちで…」
などと言っても
残念ながら取り合ってもらえません。
だから仮にドイツ語が
堪能になったとしても
日本人的な心の振動は
表現しようの無い何かで
人が傷つかない事で傷ついたり
言葉ではない心が伝わらないモヤモヤを
ウィーンではずっと感じていたし
心を読み合う様な
心遣い豊かなコンタクトがない世界に
一生居るのは難しいかも知れないと
感じたりもしました。
仮に心を感じるセンサーが
横隔膜にあるとしたら
それは振動をキャッチする器官で
何か最近
そこにフォーカスを向けると
対話している方の表に出ている
言葉や態度の奥の微細な振動を
以前より感じる様になった気がします。
本人は発している言葉が
自分の本意だと思っているかも知れないし
私もそれを本意として
会話を進めてしまいますが
後から振り返ると
その奥で揺れている
繊細な振動があったことに気がつきます。
頭の会話とは別に内なる振動は
こうだったのではないか?という
【振動】として
捉えて記憶している何か。
日本人は実はこの微振動が
とても豊かな民族なのかも知れません。
だから小さな地震で
いつも大地が揺れているし
いや、揺れているから
そういう民族になれたのかも
知れませんが
いずれも西洋的な
言葉やコンタクトではなく
もっと奥深いものを
静かに共振し合える民族なのだと思います。
微振動で聴き合うコンタクト
日本人の本当の能力というのは
こんな感覚の向こうに
発揮されるものかも知れません。
Marie Rosa(歌巫女)
uta.mico.Labo